「好き」と「得意」の話
働き方とか考えるのがなんか流行りっぽいですが。
フリーランスの舞台照明家として20年くらい仕事をしています。
舞台業界というのはまあ水物な業界です。
俳優さんのなかには事務所に所属していながらもそれだけでは生活できず、アルバイトに励むような人も多いです。
スタッフはまだましでそれだけで生活が成り立つ人が多いですが、忙しい時期とヒマな時期の差がかなりあって、ヒマな時期にバイトしてるみたいな話もよく聞きます。
幸いなことに、ぼくはこれまでもお仕事が途切れることはありません。
もちろん仕事は大好きです。
若い頃には大好きすぎて三ヶ月くらい休みをほとんど入れずに働き続けたりもしました。
フリーランスでしごとをしている人はわかるとおもいますが、仕事が入ってくるのはそれだけでうれしいものなのです。
特に独立して間がない頃は本当に嬉しい。
自分が社会から認められているみたいな感覚になれます。
なもんで、オファーがあるとスケジュール的にキツくても受けてしまったりします。
まあ、好きなことなんでいいんですが、さすがに体力や気力の限界というのもあります。
若い頃は勢いで乗り切れたんですが、さすがに最近は歳をとってしまったので昔のようにはいかないのですが……
こんな感じで「好き」を仕事にしてきたわけですが、「得意」かと言われると悩むところです。
舞台照明の世界と本格的に関わり始めたのは大学の頃に遡ります。
新歓の時期にたまたま見つけたのが、舞台装置と舞台照明をやるサークル。
ぼくが入った大学は音楽サークルや演劇サークルがたくさんあり、そんなサークル相手にプロに頼むよりも安く裏方仕事を請け負うという謎の活動をするサークルがあったのでした。
実のところ、それまで演劇なんてほとんど見たことはありませんでした。
文化祭で演劇の演出をやったりとかはしましたが、まあお遊びのレベルです。
というかそもそも人見知りで不器用で、集団作業やモノづくりには向かないスペックの人間でした。
どちらかと言うと、本を読んだりしてるのが好きでしたし、休みの日にもひとりで行動することがほとんどでした。
なもんで、サークル選びの時にも演劇とかは向かないと思ってました。
実際に一年生の頃は文学系のサークルと掛け持ちしていましたから。
その後、劇場でたくさんの時間を過ごすにつれて舞台の仕事が「好き」になっていきました。
瞬間で消えていく打ち上げ花火のような眩しい瞬間を共有することのできる舞台という場にどんどんと惹かれていったのです。
学生でありながら、バイトでプロの現場に参加することも多くなりました。
濃密な時間の流れる小劇場から、武道館、東京ドームでのコンサートまで、様々な場所に行くことができました。
「好き」な場で働けるようになりながら、その一方で自分が世界で働くことに向いてないのではという悩みも深くなっていきました。
現場で出会う人達の多くはぼくよりもずっと「好き」だし、それだけでなくぼくの持っていないものをたくさん持っている。
そう感じていたからです。
時間のない中で突発的に訪れるトラブルに対応できる臨機応変さ。
ちょっとした作業で見せる器用さ。
チームで動くのに不可欠なコミュニケーション能力。
大胆さや決断力……
舞台の裏方仕事は「好き」だけど「得意」ではない。
いつもそう感じ続けていました。
「好き」と「得意」は似ているようでいて違うとしたら。
どちらを一生の仕事にしていくのが正解なのか。
その問いかけに答えなんてないのかもしれません。
ただぼくは「得意」ではないことを続けてきてよかったと思っています。
ファシリテーターとして活躍しているある方から
「ぼくはコミュニケーションが苦手だから一生懸命考え続けて、コミュニケーションを仕事にしたんです」という話を聞きいたことがあります。
得意ではないことだから、真剣に学び、考え、たくさんの時間をかけることができる。
そういうこともあるのです。
得意な人と同じことができるようになるまで、よりたくさんの時間やエネルギーが必要だったりもします。
でもそれは無駄なんかではなくて、そのおかげでなにか違うことも手に入れられる。
ぼくはそう思います。
もしも「得意」を仕事にしていたら。
インパクトドライバーでビスを打つ機会なんてほとんどなかったでしょう。
電動丸ノコなんて一生使わなかったかもしれません。
公演の打ち上げで大騒ぎすることもなかった。
なによりも、舞台の上でキャストがとんでもなく輝く瞬間を舞台袖から眺める、そんなステキな時間を何度もできるなんてことは絶対になかったでしょう。
「得意」の先にあるものもきっと素晴らしいものに違いないでしょう。
だけど「好き」を突き詰めると、自分では想像できない場所へたどり着くこともある。
そんなふうに思うのです。
(36分40秒)