20分

20分で書き上げた記事をリライトなしでアップしていくブログです

ライティングショーはやらない

Facebookにアップする記事を書いてたのですが長くなったのでこっちに。

即興演劇の本番中です。
即興なので毎日ストーリーが変わります。
今日は主人公の職業が歌手でした。
ということでお芝居中にコンサートのシーンが出てきました。

舞台上でいろんなシーンが出てくるので、それに合わせて手元でいろんなシーンの照明が作れるように工夫しています。
なのでそこそこ派手なライブの照明も出すことはできるのですが…出しませんでした。

すいぶん前、まだ会社に入ってすぐぐらいだったと思います。
関わっていた作品を見に来た知人に
「芝居がつまらないからライティングショーやっちゃったんだね」と言われたことがあります。
正直、学生劇団のお芝居でいろいろと力が足りないところはありました。
ただ、自分としては照明でそこを補うつもりだったのです。

学生時代から20代のころ、学生劇団の照明デザインをたくさんやらせていただきました。
ぼくはその頃からアルバイトで、有名な劇団や有名なアーティストのコンサートにも出入りしていました。
なので普通の学生の人と比べると経験値には雲泥の差がありました。

演出家から「このシーンは照明で盛り上げてください」みたいなオーダーをされることも多かったですし、そう言われるとうれしいのでがんばったりもしていました。
お芝居のアンケートで「照明がきれいでした」と書かれるのがうれしかった時期もありました。

そんな時に「ライティングショー」と言われました。
そしてなんだか深く納得しちゃったのです。

舞台照明は「場」を作る作業なのではと思います。
お芝居が演じられる場を。
そう考えると「場」と「中身」に差があるのはやはりよくない気がします。
差というかコンセプトのズレなのかもしれませんし、方向性の違いという話なのかもしれません。

照明デザインの考え方はデザイナーひとそれぞれです。
ただぼくは、演じられている作品と照明がズレや過不足がなくきちんと寄り添っていること、そこが気になるようになってきたのです。
「照明がキレイでした」「印象的でした」とアンケートに書かれてしまうこと、それは作品と照明がズレていて照明だけが突出した印象を残しているのではないか、ぼくはそう感じるのです。

そういう仕事の仕方をしてると、あんまり高い評価はされないのかもしれませんが、いまでもぼくはそういう価値観で照明を作っています。
自己主張の強い明かりは作りたくないし、やってて自分も疲れるし。

作品そのもので表現したい世界。
その足元を照明の力でそっと支える。
そんな風に作品と関わりたいと思っています。

(1070文字)