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20分で書き上げた記事をリライトなしでアップしていくブログです

インドア派で帆船乗り 人見知りだけど社交的

「インドア派で人見知りです」って言うと「えっ」ってリアクションをされます。
ふだんやってめこと見てるとそうは見えないって。

演劇や舞台関連で仕事をして、毎週のように違う人たちとチームを組んで仕事をしてる。
仕事とはちょっと離れたレベルでも役者や同業者と遊んだりしてる。
舞台以外のイベントや勉強会にもよく顔を出していて、いろんなジャンルの知り合いがいる。
帆船乗りだったころは知らない人と一緒に何日も、時には何週間も旅してたんじゃないの?

確かに、知らない人の話を聞いたり、知らない場所に出かけてみたり、知らないことを学んだりするのは好きです。

そもそもが、同じことを繰り返すような暮らしができない。
毎日、同じ場所に行って同じような仕事をすることがどうしてもできない。
だから舞台という毎日が文化祭のような場所で暮らすことを選んだのです。

とはいえ、そういう暮らしは好きだけどそれで消耗しないかというとまた違う話。

 

www.huffingtonpost.jp


ちょっと前に流行ったこの記事を見て、とてもしっくりくるなあと感じました。
内向的と内気は違うという話。

ぼくはこの記事に出てくるような、人と一緒にいると基本的にはエネルギーを消費していくタイプです。
それがごく当たり前なんだと小さい頃からずっと思っていました。
人と会うとエネルギーがチャージされるタイプの人がいることに、この記事を読んで気づいたくらいです。
人と自分の考え方や価値観が違っていることには慣れっこなんですが、これはちょっとビックリしました。

どんなに大好きな人や気のおけない人と一緒でも、どんなに楽しい時間を過ごしていても、誰かと一緒にいることは疲れるのです。
そこが他の人と違っていることに気づかなかったので、自分は他人との距離のとり方が違うとか、他人に対してクール過ぎないかと軽く悩んだこともありました。

消耗するのは体力でも精神力でもないなにかです。
自分では「こころのちから」と言ったりしてます。
あんまりしっくりきてませんが。

「こころのちから」がないと本当になにもできなくなります。
イベントに申し込んでいたり、お芝居のチケット取っていても、キャンセルすることもよくあります。
体は元気なんですが「家から出る」ことができないのです。

大学時代の一時期、そんな自分の性格がわかっていないから「こころのちから」のコントロールができなくて、全然外出できなかったこともあります。
遊びに行く約束を勝手にキャンセルして、待ち合わせ時間に友達からかかってきただろう電話が鳴るのを、布団の中で落ち込んだ気持ちで聞いていたこともよくありました。

ここ最近は楽しいことが続いてました。

10日間ほど即興演劇の本番についていてとても刺激的で楽しい時間を過ごしました。
おとといは今年関わっているあるプロジェクトのミーティング、からの国分寺の居酒屋めぐり。
昨日は探検家の石川仁さんのトークショーと参加者との懇親会でした。

どれもこれも大好きで楽しくて仕方のない時間でした。
だけど「こころのちから」がなくなりました。

休みの日には何もせずにダラダラしていることが多いです。
家でゴロゴロしてゲームしたり本読んだり。
出かけるとしたらマンガ喫茶スーパー銭湯くらい。

そうやってひとりぼっちでムダな時間を過ごすとこころのちからがチャージされていきます。
そしてチャージが住むとなんかゴソゴソとやりはじめます。

ということで今日はひとり。
マンガ喫茶いこうかなあ。

 (29分14秒 1435文字)

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