20分

20分で書き上げた記事をリライトなしでアップしていくブログです

勇気と無謀のはざま

栗城史多さんについての続き。

 

実は栗城さんに興味を持つようになったのは割と最近のこと。

以前から存在は知っていたし、評価が分かれていることも知っていた。

「冒険の共有」というコンセプトはステキだと感じたいたけど、プロジェクトの進め方には疑問も感じていた。

とはいえ、それほど気になる存在ではなかったのです。

 

栗城さんへの興味がだんだんと強くなったのは今年に入ってから。

昨年の秋ぐらいから、自分の中で「冒険」というキーワードが膨れ上がってきていた。

 

自分のことをどちらかと言うと慎重でロジカルな人間だと思っていた。

新しいことを始める前には情報を集めるし、何かをやるときにはどうすれば早く、簡単に終わらせることができるかを細かく考えるタイプだった。

 

でも、本当に自分は自分が思っているような人間なんだろうか?

 

2年ほど前にあるイベントで

「この人、冒険家です」と紹介されたことがあった。

その時は全然ピンとこなくて、そんなことないですよと否定したのだけど、その言葉がずっと引っかかっていた。

 

そもそも「冒険」っなんだろう。

そんなことを考える時間が多くなっていた。

 

冒険とは何か。

冒険家はどうして冒険に出るのか。

あまりにもざっくりとした問いかけなので答えは当然見つからない。

そして多分、人によってその答えも違う。

 

イベントなどで世間で「冒険家」と呼ばれる人の話を聞きに行ったりすることも増えた。

個人的にお話したりする機会もあった。

旅やアウトドアだけではなく、自分にとって身近な舞台芸術の世界でも、冒険てきな活動をしている人と出会ったりもした。

 

そして自分自身のあり方や考え方も少し変わって来たような気がした。

ロジックでは説明できない決断をすることが増えた。

 

50歳に近くなって、それなりに人生を経験して、体力や気力は弱っていき、人生の残り時間を考えるようになって。

なんでこのタイミングでそんなことになったのか。

自分でもよくわからない。

 

思うのは、これまで決めつけていた慎重でロジカルな自分像がそもそも間違いで、実のところ勢いやパワーで決断して行動するタイプだったのではないかということ。

残り時間が少なくなったのでより大胆に動けるようになって、自分の本質的な部分がより強く表に出るようになったのじゃないか。

まあ、本当のところはわからないし、わかったところであんまり意味はない。

 

ただぼくが冒険に強く心惹かれるようになったことと、先の見えない決断をするようなったこと。

それだけ。

 

そうなった時に栗城さんという人のことがとてつもなく気になった。

彼がなぜ山に登り続けるのか理解できなかったからだ。

 

過去の活動内容について調べてみた。

最初の頃はわかりやすい。

 

登山会のメインストリームではない彼がエベレストに挑むというストーリー。

ピークハントだけが目的ではなく、プロジェクトの立ち上げからアタックの過程すべてを伝えていく、冒険の共有をキーワード。

 

とてもよく分かる。

あえて難易度の高いルートを選択するのも、なんとなくわからないではない。

物語に価値があると言うのだから、登頂に成功することが第一の目的ではないのだから。

 

それでもアタックを繰り返すごとに、状況は悪くなってきているように思えた。

世間からの注目されることも少なくなっていた。

スポンサーや支援者が離れていったという話も聞いている。

彼が最も力を注いでいたはずの「共有」についても、だんだんとおざなりになっているようにも感じた。

事前の準備やルート選択もどんどんと適当になっているような気がした。

 

いまの彼にとってエベレストに登ることは本当に望んでいることなのだろうか?

過去の記録を追いかけているとそんな疑問も感じてしまうほど、回を重ねるごとに彼のチャレンジは、なんというか、雑になっているように見えた。

 

それでも毎年のようにエベレストにアタックするその情熱の源泉はどこにあるのか。

そのことがとても気になっていた。

できれば一度、インタビューしてちゃんと話を聞いてみたい。

そう考えたりもしたいたし、企画書の中で名前を上げたこともあった。

 

その矢先、彼は亡くなった。

 

山については素人だけど、ぼくも外洋を航海した経験はそれなりにある。

人が暮らす世界を離れて旅するとはどういうことか少しは分かっているつもりだ。

そんなぼくが彼の過去の記録を眺めていると、いつかは事故で亡くなることは必然だったように思う。

それほど彼の計画や運用は大雑把だと感じる。

 

でもそんなことは本人が一番わかっていたはずなんだけどな。

なのになぜ進むことを辞めなかったのか?

 

例えば登山関係のライターさんのこんな記事がある。

bunshun.jp

書かれていることは概ね妥当だと感じる。

多分これが普通の人の感じ方。

 

勇気と無謀の線引について語られることは多い。

実際にその境界はどこなのかはわかりにくい。

二択で考えると、彼の行動は確かに無謀なんだろう。

 

でもそんなことはどうでもよかったのかもしれない。

 

常識的に考える勇気とか無謀とか、そんなこと自体に意味はなかったのかもしれない。

彼にとっては。

 

そしてそんな彼をバカだと思う一方で、なんとなく惹かれる自分がいまはとても怖い。

 

この話はまだ続きます。

 

(43分24秒 2120字)

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インドア派で帆船乗り 人見知りだけど社交的

「インドア派で人見知りです」って言うと「えっ」ってリアクションをされます。
ふだんやってめこと見てるとそうは見えないって。

演劇や舞台関連で仕事をして、毎週のように違う人たちとチームを組んで仕事をしてる。
仕事とはちょっと離れたレベルでも役者や同業者と遊んだりしてる。
舞台以外のイベントや勉強会にもよく顔を出していて、いろんなジャンルの知り合いがいる。
帆船乗りだったころは知らない人と一緒に何日も、時には何週間も旅してたんじゃないの?

確かに、知らない人の話を聞いたり、知らない場所に出かけてみたり、知らないことを学んだりするのは好きです。

そもそもが、同じことを繰り返すような暮らしができない。
毎日、同じ場所に行って同じような仕事をすることがどうしてもできない。
だから舞台という毎日が文化祭のような場所で暮らすことを選んだのです。

とはいえ、そういう暮らしは好きだけどそれで消耗しないかというとまた違う話。

 

www.huffingtonpost.jp


ちょっと前に流行ったこの記事を見て、とてもしっくりくるなあと感じました。
内向的と内気は違うという話。

ぼくはこの記事に出てくるような、人と一緒にいると基本的にはエネルギーを消費していくタイプです。
それがごく当たり前なんだと小さい頃からずっと思っていました。
人と会うとエネルギーがチャージされるタイプの人がいることに、この記事を読んで気づいたくらいです。
人と自分の考え方や価値観が違っていることには慣れっこなんですが、これはちょっとビックリしました。

どんなに大好きな人や気のおけない人と一緒でも、どんなに楽しい時間を過ごしていても、誰かと一緒にいることは疲れるのです。
そこが他の人と違っていることに気づかなかったので、自分は他人との距離のとり方が違うとか、他人に対してクール過ぎないかと軽く悩んだこともありました。

消耗するのは体力でも精神力でもないなにかです。
自分では「こころのちから」と言ったりしてます。
あんまりしっくりきてませんが。

「こころのちから」がないと本当になにもできなくなります。
イベントに申し込んでいたり、お芝居のチケット取っていても、キャンセルすることもよくあります。
体は元気なんですが「家から出る」ことができないのです。

大学時代の一時期、そんな自分の性格がわかっていないから「こころのちから」のコントロールができなくて、全然外出できなかったこともあります。
遊びに行く約束を勝手にキャンセルして、待ち合わせ時間に友達からかかってきただろう電話が鳴るのを、布団の中で落ち込んだ気持ちで聞いていたこともよくありました。

ここ最近は楽しいことが続いてました。

10日間ほど即興演劇の本番についていてとても刺激的で楽しい時間を過ごしました。
おとといは今年関わっているあるプロジェクトのミーティング、からの国分寺の居酒屋めぐり。
昨日は探検家の石川仁さんのトークショーと参加者との懇親会でした。

どれもこれも大好きで楽しくて仕方のない時間でした。
だけど「こころのちから」がなくなりました。

休みの日には何もせずにダラダラしていることが多いです。
家でゴロゴロしてゲームしたり本読んだり。
出かけるとしたらマンガ喫茶スーパー銭湯くらい。

そうやってひとりぼっちでムダな時間を過ごすとこころのちからがチャージされていきます。
そしてチャージが住むとなんかゴソゴソとやりはじめます。

ということで今日はひとり。
マンガ喫茶いこうかなあ。

 (29分14秒 1435文字)

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ライティングショーはやらない

Facebookにアップする記事を書いてたのですが長くなったのでこっちに。

即興演劇の本番中です。
即興なので毎日ストーリーが変わります。
今日は主人公の職業が歌手でした。
ということでお芝居中にコンサートのシーンが出てきました。

舞台上でいろんなシーンが出てくるので、それに合わせて手元でいろんなシーンの照明が作れるように工夫しています。
なのでそこそこ派手なライブの照明も出すことはできるのですが…出しませんでした。

すいぶん前、まだ会社に入ってすぐぐらいだったと思います。
関わっていた作品を見に来た知人に
「芝居がつまらないからライティングショーやっちゃったんだね」と言われたことがあります。
正直、学生劇団のお芝居でいろいろと力が足りないところはありました。
ただ、自分としては照明でそこを補うつもりだったのです。

学生時代から20代のころ、学生劇団の照明デザインをたくさんやらせていただきました。
ぼくはその頃からアルバイトで、有名な劇団や有名なアーティストのコンサートにも出入りしていました。
なので普通の学生の人と比べると経験値には雲泥の差がありました。

演出家から「このシーンは照明で盛り上げてください」みたいなオーダーをされることも多かったですし、そう言われるとうれしいのでがんばったりもしていました。
お芝居のアンケートで「照明がきれいでした」と書かれるのがうれしかった時期もありました。

そんな時に「ライティングショー」と言われました。
そしてなんだか深く納得しちゃったのです。

舞台照明は「場」を作る作業なのではと思います。
お芝居が演じられる場を。
そう考えると「場」と「中身」に差があるのはやはりよくない気がします。
差というかコンセプトのズレなのかもしれませんし、方向性の違いという話なのかもしれません。

照明デザインの考え方はデザイナーひとそれぞれです。
ただぼくは、演じられている作品と照明がズレや過不足がなくきちんと寄り添っていること、そこが気になるようになってきたのです。
「照明がキレイでした」「印象的でした」とアンケートに書かれてしまうこと、それは作品と照明がズレていて照明だけが突出した印象を残しているのではないか、ぼくはそう感じるのです。

そういう仕事の仕方をしてると、あんまり高い評価はされないのかもしれませんが、いまでもぼくはそういう価値観で照明を作っています。
自己主張の強い明かりは作りたくないし、やってて自分も疲れるし。

作品そのもので表現したい世界。
その足元を照明の力でそっと支える。
そんな風に作品と関わりたいと思っています。

(1070文字) 

誰が冒険家を殺すのか

登山家の栗城史多さんがエベレストでお亡くなりになったそうです。

www.huffingtonpost.jp


今回は8度目のチャレンジ。
そして一度も山頂に立ったことはありません。

「冒険の共有」を掲げて、登山のネット中継など情報発信に力を入れていて、講演会なども多く行っていたようですしマスコミにもたびたび取り上げられていました。
知名度もあり、ファンの方も多くいらっしゃったようです。
その一方で、登山計画の無謀さや計画性のなさなど多くの批判にもさらされていました。

ぼくは山の世界にはそれほど興味がなかったので、正直なところ栗城さんについてもそれほど詳しく知っているわけではありません。
著作(あるのかどうかもしりませんが)を読んだり、生の声を聴いたこともありませんでした。


彼のことが気になるようになったのはごく最近です。

それは自分自身の感覚が少し変わってきたからです。

今日はそのことについて書いてみます。

 

なぜ、彼はエベレストにチャレンジし続けるのか。
気になるのはその一点だけでした。

活動を始めた頃は周囲からの注目を集めることも多かったものの、登頂失敗を繰り返すうちにスポンサーや支援者にも距離を置くようになった人が増えたと聞きます。
マスコミに取りあげられることも一時よりは少なくなったそうです。
彼自身も登山中に指を失ったりしています。

自分を取り巻く状況が厳しさを増す中で、それまでと同じように敢えて難易度が高い季節やルート、条件を選んでチャレンジするのか。
そのことがどんどん気になるようになったのです。

自分の中にも彼と同じような感覚があることに気づいたから。

登山の技術や運営については全くの素人なので判断することはできませんが、多くの登山家やジャーナリストが栗城さんについて批判していました。
その多くは難コースにチャレンジすることはともかくとして、その難易度と本人の技術や事前準備が十分ではないというものでした。

ぼくが「ヨットでの単独無寄港世界一周を目指す」と宣言したらどうなるんだろうと考えたりします。
ヨットのことを知らない知人からはとても注目されるし応援されると思います。
一方でヨットや海関係の人はかなり懐疑的に見るでしょう。
プロジェクトの現実的な難易度とぼくのスキルを理解することができるからです。
さらに、たまたま売っていた中古ヨットを買って、天候や風を全く考慮しない時期に出港すると発表したなら、大多数の人は反対するだろうし、中には体を張って止めに来てくれる人もいるかもしれません。

もちろん、成功する確率はゼロではないです。
技術や経験が足りないことも決定的な問題ではありません。
ぼくの身近な人の多くはチャレンジすることを好意的に受け取る人が多いので。
それでも、チャレンジを成功さるための準備や努力が足りないことを許容してはもらえないと思います。

じゃあ、自分の力不足を感じたら辞めるのか。
これまではそう判断したと思います。
というか、そもそも自分の持っているものとやりたいことを見比べて、現実的な判断をしたことでしょう。

スキルアップを目指す。
自然条件を精査する。
使用機材の選定を慎重に行う。

そして成功の確率が低ければ辞める。

それが当たり前だと思っていました。

この話は続きます。

 

■栗城さんについて書くことがメインではないのですが、例えばこちらのブログとかはぼくの感想に近い気がします。

fujipon.hatenablog.com

(31分23秒 1300字)

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就職としてはおすすめしません

最近、演劇業界外の方から演劇とコラボしたいとか、演劇界向けの新規ビジネス立ち上げとかのご相談というか、リサーチにお付き合いすることが何件か続いた。

業界全体として決して順調でも健全でもない状況が続いている気もするので、外の人が気にかけてくれて関わってもらえるのはいいことだとは思う。

とはいえ、基本的には閉鎖的な世界なので、外の世界から関わるのは難しそうだなあと思ったりもする。
なので、お話するときは最初にそこから入ることにしてます。
最初のうちは相当距離を取られますよって。

大学時代にサークル、アルバイトを経てフリーランス舞台照明家というややめずらしい流れで仕事に就いたので、昔はよく若い人に相談を受けた。
大学とかで演劇をしていて、ずっと演劇界隈で暮らして行きたくて、スタッフならまだなんとか食えそう。会社組織になってるところも多いので親とかも説得しやすい。
そんな感じで、舞台スタッフを仕事にしたいんですが、という相談。

その時も最初に言うのは
「就職先としての舞台スタッフはおすすめしません」
ということ。

労働時間が長い。
肉体的にも精神的にもストレスフルな職場環境。
拘束時間に比べると安い対価。
当時はそんな言葉はなかったけど、やりがい搾取のブラック業界です。

なので普通に「職業」として舞台スタッフを選ぶと、間違いなくイメージとのギャップに苦しむことになります。
好きなことしてるのになんとか食べていける、くらいでないと続かないと思います。

それでも舞台業界へのあこがれと安定収入や親への説得を両立させられると考えるのか、舞台スタッフになりたい人は多いんですよね。

さらに余談ですが、学校公演で地方を回っていてかなり田舎の街で公演先の高校の先生から相談されたこともありました。
照明スタッフ志望の女の子がいるんだけど、情報がなくてこちらではうまく進路指導ができないので、少し本人の話を聞いてもらえないかと。

ということで公演準備を実際に見学してもらいつつ、合間に調光室で話をしました。
お話としては、
・元々は某バンドの大ファン。
・そこから舞台業界で働きたいと思うようになる。
・一般的なルートの専門学校は親が許してくれない。
・大学に進学してから舞台スタッフになるルートはあるのか分からない?
という感じでした。

なので最初は恒例の職業としてはおすすめしない話から。
また好きなバンドをやっている照明会社に入れるかわからないし、入れてもそのバンドの担当になれるかわからないし、なれてもずっとその会社がそのバンドをやっているかは分からない。
大学サークルで業界に近づくこともできる(ぼくパターン)し、照明会社などでアルバイトをして卒業後に就職する人もいる。
みたいな話をしました。

もう15年くらい前のことだけど、彼女はその後どうなったのかな?
もしこの業界に入っていれば30代半ばでバリバリ働いている頃だと思うんだけど。

もしも現場で出会ったら、おかげさまで念願が叶いましたって言ってもらえるか、あなたのせいでヒドイ業界に入ってしまったじゃないですかって怒られるか。
だから最初に言ったよね。
就職としてはおすすめしませんって。

(19分49秒 1305文字)

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炎上風景を見て栗本薫さんのことを思い出した

buzz-plus.com



という記事を読んで、栗本薫さんのことを思い出した。

小説家で評論家。
ある年代の人にはクイズ番組、ヒントでピントの人というほうがピンとくるかもしれない。
10年ほど前に、56歳の若さでお亡くなりになった。

以前のブログエントリーでファンの心理が分からないと書いたぼくが、唯一ファンだった人かもしれない。
とにかく多作でしかもSFやミステリーから普通の小説、文芸評論まで幅広いジャンルで活躍していた。

ぼくが通っていた中学校はわりと真面目な校風で、まだ素直だった当時のぼくはそんな学校の方針のせいかとても縮こまった日々を過ごしていた。
そんなある日、彼女の「グイン・サーガ」という物語と出会って、それまで白黒だった周りの世界に色があることに気づいた。
それくらいぼくにとっては大事な作家だった。

彼女は多才でバンドもやっていたし舞台の脚本や演出も手を出していた。
グイン・サーガ」のミュージカルも上演し、当時まだ地元で見に行けなかったぼくはそうとう悔しかったことも覚えている。
余談だけど、そのミュージカルのおかげで相当な借金もしたそうだけど。

その後、演劇の世界で暮らす中で彼女とお仕事でご一緒させていただいたりもした。
一度は小さいスペースでの実験的な作品だったけど、照明デザイナーとして演出家の彼女と関わることもできた。

もちろん、本人にファンではとは言ったことはない。
そのくらいのプライドは持てるようになったころの話。
でも狭い調光ブースで彼女がすぐとなりに座って本番の舞台を見ているシチュエーションには、ファンとしてはかなりテンションが上がった。

そんな彼女が、今回の仮面女子の件と似た話で炎上したことがある。
2002年。
北朝鮮による拉致事件の被害者5人が帰国したときの話。
彼女は自身のwebサイトでこんな発言をした。

「蓮池さんは「拉致された人」としてのたぐいまれな悲劇的な運命を20年以上も生きてくることができたわけで、それは「平凡に大学を卒業して平凡に就職して平凡なサラリーマン」になることにくらべてそんなに悲劇的なことでしょうか。他の人間と「まったく同じコース」をたどることだけがそんなに幸せで無難でめでたいことでしょうか。私にはどうもそうは思えないのですねえ…」

まだTwitterとかFacebookが一般的ではなかったころだけど、ネットの掲示板などでかなり炎上していた。
炎上のことを聞いて思ったのは
「栗本さんならそう言うだろうな」というもので、発言内容への以外さは全くなかった。

彼女がこだわっているのは「物語性」で、それは小説でも評論でもあるいは音楽や演劇という彼女の表現活動の全てに通底して流れているテーマ。
ある評論では「食欲」や「睡眠欲」「性欲」という人間の基本的な欲求の中には「物語欲」があるのではと語ってもいた。

彼女の言う物語はコンテンツとして流通するものではなく、自己の承認欲求を満たすために「自分を物語化」する行為が人間には必要というもの。
彼女にとっては、ごく当たり前で普通の人生よりも、波乱に飛んだ誰とも似ていない唯一の人生のほうが圧倒的に価値が高いのだ。

今回の炎上をめぐるやり取りを見ていると、かなり当時の栗本さんを取り巻く状況と似ている気がした。

元のライターさんへの反論に
「半身不随になってまでアイドルとして売れたい人がいるわけがない」
「ツライ目に合っている彼女に対して残酷」
というものが多い。
まあ正論だとは思います。

でも栗本さん流に言えば、
「不幸な出来事でも自分の中で物語化できればもっとポジティブに生きられる」ってことで、多分このライターさんも自分へのバッシングへの反論を見ると、それに近い感覚で言ったような気がする。
とはいえ、元のツイートの表現は稚拙だけどね。

ぼく自身は「自分を物語化する」ことにはとても共感するし、これからの時代にはより有効な考え方だとも思うんだけど。

(30分03秒 1591字)

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下積み時代が短かったことへの後ろめたさってなんだろう?

このブログを読んで下積みということについて少し考えてみました。

ぼくも舞台照明というどマイナーな業界で、なんとなく生きて来たんですが、その中で下積み時代も確かにあったのです。

 

fujipon.hatenablog.com

 

 

学生時代にアルバイトみたいな感じでいろんな会社やフリーランスの人に現場に連れて行ってもらってましたが、特定の会社に所属していたわけではないし、師匠ポジションの人がいたわけでもないので、同時代、同世代の同業者と比べてそれほど下積み的なことをやらされてはないと思います。

なんですが逆に、ぼくが間違ったことをしていても怒ったり注意してくれる人もいなくて、ちょっとツライ状況ではありました。

ある意味ではとてもドライな風潮のある業界なので、自分と縁もゆかりもない、そしておそらくは人数合わせのために呼ばれただけの学生に、ちゃんと仕事を教えたりはしてくれません。
会社の後輩でこいつが育たないと自分がしんどくなるとか、自分の仕事で使える若手の手駒を確保したいとか、そんな実利が伴わないかぎり、自分の飯のタネでもある技術を気軽に教えてはくれない、そんな感じです。

そう思うと、下積み修行を許容している業界というのは余裕があるのではと思ったりします。
売上や利益に直結するだけのスキルを持たない人を雇用しているのですから。

先日もある仕事の休憩時間に最近の若手の話で盛り上がりました。
4月になって新入社員も増え、いろんな現場で新たしい人に出会ったりもします。
そうすると若手社員の仕事っぷりについてもいろいろな話がでます。

その会話の中で
「二年近く仕事して、まだ稼げない人をいつまでも会社で面倒見てるわけにもいかないしなー」
というようなものがありました。

この業界では一年間仕事をしてある程度一端になっていないとかなり評価が下がります。
そして二年くらい経てば、普通にひとり分の人件費を貰えるレベルにまでなってることが要求されます。
そういう意味では無駄な下積み修行をやらされることはないのかもしれません。

いま思えば、下っ端が主にやるような作業にも基本的には意味があります。
若い時にあまりそういう作業をしてこなかったぼくは、苦手な作業もいくつかあったりします。
(例えば、カラーフィルターをサイズ別に切る作業とか)
大したことではないし、この仕事の本質ではないのかもしれませんが、そういうことが苦手というのはどことなく後ろめたく感じたりもするものです。

そういう下積み時代を経てこなかった後ろめたさを感じる人ってどのくらいいるんだろう?
舞台照明家というのはデザイナーだったりプログラマーだったり職人だったりと、仕事の中にいろんな要素が含まれています。
なんとなくですがその中の職人的要素。
ちょっとした手仕事をうまくできることや、作業を手早くこなしていくための勘どころを知っていること。
そういう効率や教育だけでは身につかないものに価値を見出す職業的な価値観があるのだと思います。

(21分33秒 1170字)

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