勇気と無謀のはざま
栗城史多さんについての続き。
実は栗城さんに興味を持つようになったのは割と最近のこと。
以前から存在は知っていたし、評価が分かれていることも知っていた。
「冒険の共有」というコンセプトはステキだと感じたいたけど、プロジェクトの進め方には疑問も感じていた。
とはいえ、それほど気になる存在ではなかったのです。
栗城さんへの興味がだんだんと強くなったのは今年に入ってから。
昨年の秋ぐらいから、自分の中で「冒険」というキーワードが膨れ上がってきていた。
自分のことをどちらかと言うと慎重でロジカルな人間だと思っていた。
新しいことを始める前には情報を集めるし、何かをやるときにはどうすれば早く、簡単に終わらせることができるかを細かく考えるタイプだった。
でも、本当に自分は自分が思っているような人間なんだろうか?
2年ほど前にあるイベントで
「この人、冒険家です」と紹介されたことがあった。
その時は全然ピンとこなくて、そんなことないですよと否定したのだけど、その言葉がずっと引っかかっていた。
そもそも「冒険」っなんだろう。
そんなことを考える時間が多くなっていた。
冒険とは何か。
冒険家はどうして冒険に出るのか。
あまりにもざっくりとした問いかけなので答えは当然見つからない。
そして多分、人によってその答えも違う。
イベントなどで世間で「冒険家」と呼ばれる人の話を聞きに行ったりすることも増えた。
個人的にお話したりする機会もあった。
旅やアウトドアだけではなく、自分にとって身近な舞台芸術の世界でも、冒険てきな活動をしている人と出会ったりもした。
そして自分自身のあり方や考え方も少し変わって来たような気がした。
ロジックでは説明できない決断をすることが増えた。
50歳に近くなって、それなりに人生を経験して、体力や気力は弱っていき、人生の残り時間を考えるようになって。
なんでこのタイミングでそんなことになったのか。
自分でもよくわからない。
思うのは、これまで決めつけていた慎重でロジカルな自分像がそもそも間違いで、実のところ勢いやパワーで決断して行動するタイプだったのではないかということ。
残り時間が少なくなったのでより大胆に動けるようになって、自分の本質的な部分がより強く表に出るようになったのじゃないか。
まあ、本当のところはわからないし、わかったところであんまり意味はない。
ただぼくが冒険に強く心惹かれるようになったことと、先の見えない決断をするようなったこと。
それだけ。
そうなった時に栗城さんという人のことがとてつもなく気になった。
彼がなぜ山に登り続けるのか理解できなかったからだ。
過去の活動内容について調べてみた。
最初の頃はわかりやすい。
登山会のメインストリームではない彼がエベレストに挑むというストーリー。
ピークハントだけが目的ではなく、プロジェクトの立ち上げからアタックの過程すべてを伝えていく、冒険の共有をキーワード。
とてもよく分かる。
あえて難易度の高いルートを選択するのも、なんとなくわからないではない。
物語に価値があると言うのだから、登頂に成功することが第一の目的ではないのだから。
それでもアタックを繰り返すごとに、状況は悪くなってきているように思えた。
世間からの注目されることも少なくなっていた。
スポンサーや支援者が離れていったという話も聞いている。
彼が最も力を注いでいたはずの「共有」についても、だんだんとおざなりになっているようにも感じた。
事前の準備やルート選択もどんどんと適当になっているような気がした。
いまの彼にとってエベレストに登ることは本当に望んでいることなのだろうか?
過去の記録を追いかけているとそんな疑問も感じてしまうほど、回を重ねるごとに彼のチャレンジは、なんというか、雑になっているように見えた。
それでも毎年のようにエベレストにアタックするその情熱の源泉はどこにあるのか。
そのことがとても気になっていた。
できれば一度、インタビューしてちゃんと話を聞いてみたい。
そう考えたりもしたいたし、企画書の中で名前を上げたこともあった。
その矢先、彼は亡くなった。
山については素人だけど、ぼくも外洋を航海した経験はそれなりにある。
人が暮らす世界を離れて旅するとはどういうことか少しは分かっているつもりだ。
そんなぼくが彼の過去の記録を眺めていると、いつかは事故で亡くなることは必然だったように思う。
それほど彼の計画や運用は大雑把だと感じる。
でもそんなことは本人が一番わかっていたはずなんだけどな。
なのになぜ進むことを辞めなかったのか?
例えば登山関係のライターさんのこんな記事がある。
書かれていることは概ね妥当だと感じる。
多分これが普通の人の感じ方。
勇気と無謀の線引について語られることは多い。
実際にその境界はどこなのかはわかりにくい。
二択で考えると、彼の行動は確かに無謀なんだろう。
でもそんなことはどうでもよかったのかもしれない。
常識的に考える勇気とか無謀とか、そんなこと自体に意味はなかったのかもしれない。
彼にとっては。
そしてそんな彼をバカだと思う一方で、なんとなく惹かれる自分がいまはとても怖い。
この話はまだ続きます。
(43分24秒 2120字)